136356 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ぷらいべーと☆かふぇ

ぷらいべーと☆かふぇ

天使になった子猫

天使になった子猫

mei02.jpg



□出逢い

8月も終わりの土曜日、夜中トイレに起きた時だった。外から猫の鳴き声がする。
トイレの小窓から外を覗いて見るけど、真っ暗で何も見えない…。
みゃあーみゃあー
…気になったけど眠気には勝てず、その晩私は寝てしまった。

翌日…やっぱり外から猫の鳴き声がする。旦那に言うと、わざわざ外に見に行った。
泣き声はするんだけど、何処にいるかわかんないなー。
でも何度も見に行くと草の陰から子猫が顔を覗かせてくれた。
とても小さい子。私は触れて見たくてしょうがなかったけど、手を伸ばすと逃げて行く。
親猫が探しに来るんだろうと思い、そのまま出かけた。
夜戻ってくると、家の前の車の下を子猫がウロウロしていた。
危なっかしいな。どうしたらいいのかわからないでいたら
「ミルク有ったっけ?」旦那が言う。
「うん…。あるよ。」
その日、初めて子猫にミルクをあげた。
その子ははじめ警戒してたけど、旦那からミルクもらい美味しそうに平らげたのだ。
それが私達と「みい」とのはじまりだった。

... asondeiru mie..... みー


□幸せな日々

月曜日は雨で、あんな小さな子猫がびしょぬれになったら死んじゃうんじゃないかと気が気ではなかった。朝、家に有った発泡スチロールで雨よけを作り、ミルクをあげていたけど、家に入ると鳴き出す。子猫を見に行くと、心細そうに「みーみー」と鳴いている。思い切って手を伸ばして見た。子猫は後ずさりする。ちょっと強引だけど子猫に触れて見た。思いの他抵抗しないで私の手に抱かれた。膝に乗せると、私の顔を見上げ「みーみー」と言い、ゴロゴロ喉を鳴らしてくれた。
ああ。これで私はこの子に心を奪われてしまった…。
 今保護しなければと思った。このままほおって置いたら死ぬかもしれない。うちで面倒見ながら里親を探せばいいのではないかと思っていた。
子猫を家に入れ、タオルで身体をふいてあげた。猫用のシャンプーがないので、蒸しタオルで綺麗にしてあげた。
子猫を飼った事がなかったので、急いでインターネットで子猫の育て方を調べた。人間用の牛乳がダメな事もその時知ることになる。
とりあえず玄関先に浅い箱に新聞紙を細長くしたものを敷き詰め、トイレの代わりにした。
トイレは子猫がウロウロした時、連れて行って見るとスムーズにしてくれた。それからは自分から行くようになる。こんなに簡単にトイレのしつけが出来るなんてビックリだ。
あまり子猫を抱くのも良くないらしいのでほっておいた。でも直ぐ膝に乗って甘えてきてくれる。子猫が落ち着けるようにタオルをしいた寝床を作ってあげると、半日くらい寝ていた。多分…ずっと落ち着いて眠れなかったのかな?子猫の寝顔に見とれている私だった。

旦那から「子猫はどうしてる?」なんてメールが来た。帰ってきたら彼はなんて言うだろう。家に入れてしまった事を怒るだろうか?

夕方旦那が仕事から戻る。いつもより早いぐらいだ。多分、猫が気になって早く帰ってきたんだろう。
玄関を開けるなり、「猫は?」と聞く。子猫は隠れていたけど、いつのまにか玄関先に来ていた。
「…随分可愛くなって…。」
旦那の顔がにやけて行くのがわかる。子猫は一番はじめの餌を旦那から貰ったのを覚えていたのかな。ちゃんと旦那にも甘えていた。その日のうちに、子猫のトイレと猫砂とキャットフードと爪切りを買って来た。
まだ小さいのでキャットフードはお湯でふやかして与えてみた。キャットフードの臭いに反応して「みーみー」なく。いつのまにか私達は子猫を「みい」と呼んでいた。

火曜日、みいを病院に連れて行く。みいは毛がフサフサで頭はブラウンのトラ模様なんだけど、身体はサバトラ?(シルバーのトラ模様)額にM字の模様がある猫だった。目がグレーで目やにがあるから寄生虫の心配もあったし、病気が怖かったのだ。
病院の先生には「長毛種」ですね。と言われた。推定1ヶ月少し。やはり回虫がいるが虫下しで治るといわれた。その他とくに病気はなく、もう少ししたらワクチン接種に来てくださいね。と言われた。
動物病院の先生に「捨てられていたので、これから里親探すんです。」と言うと「こっそり飼っちゃえば?」といたずらっぽく言われた。

それからは、私達とみいの生活が始まった。みい中心…と言った方が正解かもしれない。
みいのお陰で朝も早く起きたし。家の中の掃除もマメになった。何故か私は里親探しをしていた。うちは集合住宅なので飼えないと思い込んでいた。

...bon no te to...bonと


□後悔

みいと過ごして3週間が過ぎた頃、実家の母から連絡があった。実家の近くのペットショップで捨て猫や捨て犬を預かってくれる所があると言う。なんでも餌代1000円で見てくれるそうだ。
ワクチン接種もそろそろしなければ…と思っていたが、取り敢えず連れて行って見ようと思った。もうこれ以上みいと一緒にいたら離れるのが辛くなりそうで、別れは早い方が良いと思ったから。
旦那にその話しをすると、あまり乗り気ではないらしい。でも、みいの事を考えれば、私達よりもみいを幸せにしてくれる人と巡り合えるかもしれない。そんな思いで、そのペットショップに連れて行く事にした。
旦那は最後だと思ったのか、みいの写真を撮ると言い出した。デジカメもあるんだけど、一眼レフの方で撮ると言う。たまたま白黒フィルムが余っていたので、それで撮ることになった。
今日がみいとの最後の日。そう二人とも思っていたと思う。
ペットショップまでの30分の車の中ではみいがいつも以上に鳴いていた。別れを予感しているのだろうか?
ダメだ…考えると辛くなる。これが私にとってベストの選択だと言い聞かせていた。

ペットショップは…外から見てもオンボロで不安になるところだった。…本当に大丈夫なんだろうか?
だけど、ここまで来たら引き返せない、そんな暗示にかかっていたのかもしれない。旦那に一緒に行ってくれるように促したけど車の中で待つと言う。仕方ないのでキャリーケースにみいを入れて、ペットショップに行った。
そこは民家の広い庭にちょっとしたペット用品販売の小屋を置いてるような所だった。もう一棟の小屋には色んな動物… ニワトリ?や小鳥…子犬。猫は何処にいるのかと思ったけど、見つけられなかった。
とにかく怪しげな所だった。でもペット用品の小屋の戸を開け声を掛けてみる。
すると若い女性が出てきて、子猫は1000円で預かります。そこの小屋に入れて下さいと言う。
見ると…今考えても、胸が痛いけど、1メートル四方の木製のオリに子猫が6~7匹入れられていた。無表情な猫達。こんな所にみいを置いていくのかと思うと、ぞっとした。「やめます!」と喉から出そうだったけど、ペットショップの女店員に「早くしてください」と急かされ、それでもノロノロとみいを取り出した。
「飼い主が見付かったら連絡もらえますか?」
「はぁ?…ちゃんと貰ってくれる人見付かると思いますよ。」
なんだかハッキリしない返事だと思う。こんな沢山の猫達の中に入れて大丈夫か尋ねると「大丈夫ですから、早く入れてください!」と、また急かされる。それからの事はよく覚えてない。ペットショップから私の実家までは車で3分位。実家までの道のり旦那とはお互い無言だった。空のキャリーケースだけが後ろのシートにあった。
私の実家に行くと、母に「猫はどうしたの?」って聞かれる。
もう…涙が溢れて何も言えなかった。バカな子だねーと言われ、実家の倉庫の前で洗車をしてくるねってだけ言い残して実家を出た。倉庫で洗車をしようとホースを持って旦那の方を振り返ると…彼はコンクリートの上に腰掛けて下を向いて…肩を震わせて泣いていた。声を出さないように…。
結婚して今まで何があっても涙を見せた事がなかった人が…泣いてる。自分のした事のおろかさに初めて気付いた。
きっとみいと一生暮らす覚悟がなかったから、こんな事しちゃったんだね。集合住宅だって飼えない事ない。
本当に最後まで一緒にいるって思えば引越しだって、なんだって出来る。そう気付いたのはみいを預けて30分後の事だった。
「今から連れ戻しに行こう!」きっと、その時の私の顔は涙でぐちゃぐちゃだっただろう。
直ぐに連れ戻しに行くと、あの無表情の猫達のなかで、みいは小さくなって固まっていた。
ごめんね、ごめんね。直ぐに取り出して連れて帰るけど、しっぽに他の猫の糞尿が付いて臭くなってる。猫の糞がこんなに臭いなんて知らなかった。みいの糞は殆ど臭わなかったから。。。
もう二度と手放したりしないよ。これからずっと一緒にいようね。
私達は帰り道、みいに新しいおもちゃを買ってあげた。

mie05.jpg...kenamiwo totonoete...



□永遠の別れ

その次の日からみいの様子がおかしくなった。
いつもなら、ご飯の時間はうるさいくらいなのに、食べてもキャットフードを吐いている。ぐったりしてるので直ぐに病院に連れて行った。
先生には…最悪の事態です。と言われた。どうやら、病気に感染したらしいと言われた。
例のペットショップに連れて行った話をすると、あのペットショップから譲られた子猫や子犬は、殆ど病気に感染していると聞いた。白血球が極端に少なくなる病気。ワクチンを接種していれば軽症で済む病気。
先生はなんとか頑張って見るけど、みいちゃん次第です、としか言わなかった。

それから一週間点滴を繰り返して、もしかしたら治るかも…と思ったけど、みいは天使の猫になってしまった。みいが亡くなる最後の日、今晩は入院させた方が良いけど、もしかしてって事もあるのでどうしますか?
と病院の先生に言われた。でも最後まで諦めたくなかった。治ると信じたかった。だけど息絶えて行くみいを見るのも怖かったのかもしれない。
その日の深夜、私は猫の鳴き声で目が覚めた。みいがいる訳ないのに。なんとなく胸騒ぎがした。
でも次の日の朝病院から連絡は来なかった。約束では11時に迎えに病院に来てといわれていたので、取り越し苦労かな、とも思った。
「みいは大丈夫だよ、きっと頑張ってるよ。早く迎えにいかなきゃな。」旦那がそう言ってくれたので、気持ちが落ち着いてきた。
病院に今から迎えに行くと電話をいれた。
すると受け付けの女性から先生に代わり、
「…みいちゃんは、…今朝早くに亡くなりました…。手は尽くしたのですが、夕べから息絶え絶えで…」
――耳を疑った。どこかで覚悟はしていたけど、ならどうして病院から連絡くれなかったの?喉まで出かかった言葉を飲み込んだ…。
病院に迎えに行く車の中私達は無言で、さっきの病院の話が嘘でみいが元気な姿で戻って来てくれたら…なんて私は考えていた。でも、病院のドアを開け私の顔を見た受付の女性が、ダンボールの箱を持ってきてその中を覗き込んだ時、泣くまいと思ってたけど出来なかったよ。無造作にダンボールの中にみいは眠るように横たわってた。
みいを亡くす9ヶ月前に実父を亡くしてて、その時も凄く悲しくて仕方なかった。でもそれ以上にみいを失った今悔しくて悲しくて。私が、みいと一緒にいる覚悟がなかったから。自分のせいで小さな命の灯火を消してしまった。。。
その日は1日中旦那と泣き明かした。二人で通夜もした。小さな箱にかすみ草を敷き詰めて、みいを入れた。お気に入りのおもちゃも入れた。ずっと線香をたいて部屋の中は線香臭くて、きっと他の部屋にも臭って気味悪がられていたかもしれない。そんな事をしてもみいは帰ってこないのだけど私達は何かしないでは耐えられなかったから。
みいは2001年9月30日に永眠した。
次の日は月曜日で雨降りだった。みいが我家に来たのも雨の日。
それから火葬場でみいを焼いてもらった。土の中に埋めるのはなんだか出来なかったから。灰になったみいの骨をミッフィ-ちゃんの缶に入れて持ちかえり、やっぱり線香をたてた。

週の命日には必ず線香をたいた。
四十九日を過ぎて、旦那の実家の眺めが良い場所に埋めた。
抱っこが好きで、声を出さないで私の顔を見上げながら「みゃ~」って鳴く顔が可愛かった。
気がつくと何時も側にいたね。
ねえ、みい。私はもう猫と暮らしちゃダメかな?そんな資格無いよね。みいを失った初めの頃は悲しくて悔しくてどうしようもなく自分が嫌いで、なにもする気になれなかった。毎日泣いてばかりだった。
でも、また、あなたみたいな猫と暮らしたい。だめかな?許してくれる?
いくら後悔しても足りない。だけど、もし許してもらえるなら、また猫のぬくもり感じたい。
いつまでもみいの事大好きだから、いつも「大好き!」って言うと「みー」って甘えてきたよね。
最後の夜、私が寝てるうちに顎にKISSマークつけてくれたみい。酷い事した私に、いつも優しかったね。
ごめんなさい。そして、ありがとう。あなたの事ずっと忘れない。


Takakoの膝の上で2


最後まで読んでくださってありがとうございます。




© Rakuten Group, Inc.